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岡山地方裁判所 昭和47年(ワ)587号 判決

原告

依田昭太郎

ほか一名

被告

有限会社電路建設

ほか一名

主文

各原告の各被告に対する請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの連帯負担とする。

事実

第一当事者が求めた裁判

一  原告ら

「被告らは連帯して各原告に対して金五、〇〇〇、〇〇〇円およびこのうち金四、五〇〇、〇〇〇円に対する昭和四七年一一月一八日から、金五〇〇、〇〇〇円に対するこの判決言渡の翌日から完済に至るまでいずれも年五分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言。

二  被告ら

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二当事者の主張

一  原告らの請求原因

(一)  昭和四七年一月三〇日午後六時三〇分頃、玉野市長尾三六〇番地先の県道槌ケ原玉線(以下「本件県道」という)上で被告松本が運転していた貨物自動車(登録番号福岡一一さ一八三号、以下「被告車」という)が依田準司(以下「準司」という)が運転していた原動機付自転車(ヤマハメイトデラツクスv七〇ccD、登録番号玉野市な七八九号、以下「原告車」という)に衝突し(以下右衝突事故を「本件事故」という)、準司は脳挫滅、頭蓋骨粉砕骨折等の傷害を受け、これにより同日午後七時一五分頃、岡山赤十字病院玉野分院で死亡した。

(二)  本件事故の際、被告車は被告有限会社電路建設(以下「被告会社」という)が所有し、被告会社の従業員である被告松本が運転して、被告会社のために運行の用に供していたものであり、本件事故は被告車を運転していた被告松本の前方注視を怠つた過失に因つて発生したものである。

(三)  準司は昭和二八年三月二一日生(死亡当時満一八歳一〇月)で、父である原告依田昭太郎、母である原告依田満子の両名が、法定相続分に従つて共同相続した。

(四)  本件事故による準司の死亡に因つて被つた損害は次のとおりである。

1 準司の逸失利益

(1) 準司は昭和四六年三月に関西高等学校を卒業して、大学受験のため予備校に在学中であつた者で、昭和四七年春に、東京電機大学、広島工業大学、岡山理科大学を受験する予定であつたが、右の何れかの大学へ入学できることは確実であつた。

(2) 準司の平均余命は五一年であつたから、本件事故に遇わなければ、大学在学期間四年間を終えた満二三歳から少くとも六七歳までの四五年間は労働可能であつた。労働大臣官房労働統計調査部編集の昭和四八年賃金センサス第一巻第二表の産業計、企業規模計の新制大学卒業者の年齢階級別年間給与所得の平均によると、準司が大学卒業の二三歳から六七歳までの間に得べかりし年齢別年間給与所得の額は別表1記載のとおりである。右の年間所得額のホフマン式計算法による中間利息を控除した昭和四七年四月一日の現価の合計は別表2記載のとおり四八、八七〇、二九五円となる。

(3) 右の得べかりし所得額のうち準司自身の必要生活費は、その五割とみるのが相当であるから、準司の逸利失益の昭和四七年四月一日の現価は二四、四三五、一四七円である。

2 準司の葬儀費用として三一四、三八一円を要した。

3 準司の墓碑建立費用として三六八、〇〇〇円を要した。

4 原告両名が長男である準司を突然失つたことに因る精神的苦痛は甚大であり、被告らの本件事故後の態度に誠意の無いことも考えると、各原告に対する慰藉料としては少くとも各二、五〇〇、〇〇〇円が相当である。

5 本件訴訟の委任による弁護士費用として、着手金二〇〇、〇〇〇円、成功報酬一、〇〇〇、〇〇〇円計一、二〇〇、〇〇〇円。

(五)  原告らは自動車損害賠償責任保険(以下「自賠保険」という。)の保険者から、準司の死亡に因る損害の填補として五、〇〇〇、〇〇〇円の支払いを受けたので、各原告の被告らに対する損害賠償請求権の残額は右(四)の1ないし3、および5の各二分の一と4の合計額から右五、〇〇〇、〇〇〇円の二分の一を控除した一三、一五八、七六四円宛となつた。

(六)  よつて、原告らはそれぞれ各被告に対して右損害賠償請求権の残額のうち五、〇〇〇、〇〇〇円およびこのうち弁護士費用の負担分五〇〇、〇〇〇円を除くその余の四、五〇〇、〇〇〇円に対する被告らに対する本件訴状送達の後である昭和四七年一一月一八日から、弁護士費用の負担分五〇〇、〇〇〇円に対する判決言渡の日の翌日から完済に至るまでいずれも民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告らの答弁

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実のうち、本件事故が被告松本の前方注視を怠つた過失に因つて発生したということは争うが、その余の事実は認める。

(三)  同(三)の事実のうち、原告両名と準司の身分関係は認めるが、その余の事実は知らない。

(四)  同(四)の1ないし5の各事実、および主張はいずれも争う。準司は原告らの主張によつても大学の入学試験に一度失敗したというのであるから、二度目である昭和四七年四月に大学に入学できることが確実であるとはいえないにかかわらず、その逸失利益を大学卒業者として算出することは妥当でないし、中間利息の控除方法は未確定な条件、事情が多いのでライプニツツ式計算法によるべきである。準司の葬儀費用、墓碑建設費用として原告らが主張する額は、右の各費用として過大である。

(五)  同(五)の事実のうち、原告らが自賠保険の保険者から五、〇〇〇、〇〇〇円の支払いを受けたことは認める。

三  被告らの抗弁

(一)  原告らは本件事故に基く損害の填補として、原告らが認めている五、〇〇〇、〇〇〇円のほかに、自賠保険の保険者から一、二四〇円、被告松本から見舞金名義で五〇、〇〇〇円、被告両名から香典名義でそれぞれ二〇、〇〇〇円を受領している。

(二)  本件事故は、ほぼ南北の方向に通じている本件県道を南進していた被告車と、本件県道と交差してほぼ北西から南東の方向に通じている県道長尾塩生線(以下「本件交差道路」という)を南東進していた原告車とが、本件県道と本件交差道路との交差点(以下「本件交差点」という)において衝突したものであるが、原告車の本件交差点への進入箇所には、一時停止の道路標識が設置されているにかかわらず、準司は本件交差点へ進入するに当り、一時停止せず、本件県道上の安全を確認しないで、原告車の変速機(ギヤ)を三速(トツプ)とした状態で、相当の高速度のまま優先道路である本件県道を横断しようとしたものであるから、本件事故の発生については、準司にも過失があり、しかも準司の右の過失と被告松本の過失を比較衡量すれば、準司の過失の方が重大であり、本件事故発生の原因としての割合は被告松本の過失を二以下、準司の過失を八以上とみるのが相当である。そして、右のような被告松本、準司の各過失の程度を斟酌すれば、本件事故に基く原告らの損害賠償請求権は、原告らが損害の填補として既に支払いを受けた金員によつて、全額弁済されたものというべきである。

四  抗弁に対する原告らの答弁

(一)  抗弁(一)の事実は争う。仮に被告両名がその主張のとおり香典名義で金員を支出したとしても、香典は贈与であつて、損害の填補に充てられるべきものではない。

(二)  抗弁(二)の事実および主張は争う。本件事故発生の経過が被告ら主張のようなものであるか否かは、準司が死亡し、本件事故の目撃者が被告松本および被告車の同乗者のみである点を考慮して、充分に慎重になされるべきであり、さもないといわゆる「死人に口なし」で被告者に著しく不公平な結果となる。したがつて、仮に本件事故の発生について準司にも過失があると認められたとしても、右過失を損害賠償額を定めるについて斟酌するに当つては、最少限度に止めるべきである。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  原告らの請求原因(一)の事実、本件事故の際、被告車を運転していた被告松本が被告会社の従業員であり、被告車は被告会社が所有し、被告会社のために運行の用に供していたものであること、および原告依田昭太郎が準司の父、原告依田満子が準司の母であることは、いずれも当事者間に争いがない。

二  当事者間に争いのない原告らの請求原因(一)の事実といずれも真正に作成されたことに争いのない乙第二号証の一ないし三、同第三ないし第六号証の各一、同第七号証、同第八号証の一、同第一一号証、同第一三ないし第一五号証、いずれも被告ら主張のとおりの写真であることに争いのない乙第二号証の二ないし二八、同第三号証の二ないし四、同第四号証の二ないし六、同第五号証の二、三、同第六号証の二ないし一三、同第八号証の二ないし一一、および証人松本千代太(第一、二回)、同吉福和彦の各証言、被告松本本人尋問の結果を合わせて考えると、次の事実が認められる。

(一)  本件県道は本件交差点附近においてほぼ南北の方向に直線状に通じていて勾配はなく、総幅員が七・八メートルで、そのうち西側の路肩部分〇・八メートル、東側の路肩部分〇・四メートルを除いた中央部の幅員六・六メートルの部分が車両通行帯となつていて、アスフアルト舗装されている。本件交差道路は本件交差点附近においてはほぼ北西から南東の方向に直線状に通じていて、本件交差点の北西側では幅員約四・五メートル、南東側では幅員約四・八メートルであり、その路面が本件県道の路面より約五〇センチメートル位低くなつているので、本件交差点の北西側、南東側の各縁線附近では本件交差道路の路面が本件県道に向つて緩かな上り勾配となつている。本件交差道路の南側に沿つて幅員約五メートルの用水溝が通じており、本件県道が右用水溝上を跨ぐ橋となつている部分の両側端には鉄製の高さ約八〇センチメートルのガードレールが設置されている。本件交差点のうちの南側の一部および本件県道の右の橋となつている部分の一部にわたつて、道路標示による幅員約六メートルの本件県道の横断歩道があり、本件交差点の北東隅の外側には本件交差点内および右横断歩道上に対する夜間照明用のナトリユーム灯が設置されている。自動車等の通行に関して、本件県道については特段の制限規制はなされていないが、本件交差道路については本件交差点の北西側縁線部(本件交差点の北西側進入口)に一時停止の道路標識が設置されており、かつ道路標示による停止線がある。本件交差点の四周はいずれも田圃であり、本件交差点の北方約六三・六メートルの本件県道西側に民家が、本件交差点の北西方約三八・七メートルの本件交差道路の北側に納屋一棟があるほかは、本件交差点附近に見通しを妨げる物件はないので、本件交差点附近における本件県道、本件交差道路の各路上および一方の路上から他方の路上に対する見通しのいずれもが良好である。

(二)  被告松本は被告車(車幅二・一四メートル、車長六・九七メートル、四屯積普通貨物自動車)を運転し、吉福和彦、松本千代太の二名を同乗させ、時速約六〇キロメートル位で、前照灯を減光状態に点灯し、同乗者との間で、本件交差点において事故に至るおそれのあるような事態に遇つたことがあることなどを話しながら、本件県道の東側部分(被告車の進行方向左側部分)のほぼ中央部を南進し、本件事故発生地点の北方約一五・五メートル位の地点に至つた際、準司が乗車した原告車(車長一・八四メートル、車高一・〇メートル)が本件県道の北西側の本件交差道路から本件交差点内に進入し、被告車の進路前方を直進横断しようとしているのを、右斜め前方約一三・二メートル位の地点に認め、衝突の危険を感じ、直ちに急ブレーキをかけたが間に合わず、被告車の前面のほぼ中央から左側の部分を原告車の左側面および準司の身体に衝突させた。右衝突の衝撃によつて、準司は跳飛ばされ、前記の本件県道が橋となつている部分に設置されている東側(被告車の進行方向左側)のガードレールの北端部分に激突したうえ、衝突地点の南方約一〇・八メートルの本件県道上に転倒し、原告車は衝突地点の南東方約一三・六メートルの前記の用水溝内の南側岸下附近に転落した。

(三)  本件事故発生前、被告車が本件交差点に接近進行していた際、被告車の直前には先行車がなく、また行違つた対向車、接近して来る対向車もなかつた。原告車は前照灯を点灯して走行していた。

右のように認められる。

証人香川末三の証言のうちには、本件事故の翌日、被告松本から、本件事故発生地点の北方約一〇〇メートル位の地点で、原告車が本件交差道路の本件交差点進入口附近に到達しているのを認めたが、原告車は一時停止の道路標識に従つて停止するものと考え、被告車をそのまま進行させたところ、原告車が一時停止しないで本件交差点内へ進入して来たため本件事故となつた旨聞いた旨の証言があるが、右証言は、被告松本本人の、右証言のようなことを香川らに話したことはない旨の供述、および前掲記の乙第二号証の一、三、同第一一号証、同第一三号証に照らして考えると、たやすく信用できず、前記(二)認定事実を覆すに足りない。

被告松本本人の供述のうちには、同被告が原告車を発見した地点は、前記(二)認定の地点よりも少し北方であり、その時原告車は未だ本件交差点内に進入していなかつた旨の供述があるが、右供述は、前掲記の乙第二号証の一、三、同第一一号証、同第一三号証、および証人松本千代太(第二回)、同吉福和彦の各証言に照らして考えると、正確度の高いものとは考えられないから、前記(二)の認定を覆すに足りない。

証人石井常子の証言のうちには、昭和四七年二月一三日に被告松本が、原告車と衝突してはじめて原告車に気付いた旨述べた旨の証言があるが、右証言は、同証人の証言の他の部分、および前掲記の乙第二号証の一、二、同第一三号証に照らすと、到底信用できず、前記(二)の認定を覆すに足りない。

前掲記の乙第一四号証には被告松本の、原告車のエンジンキーの状態から、原告車は前照灯を点灯していなかつたことになる旨の供述の記載があり、証人松本千代太(第一回)の証言のうちには、原告車は前照灯を点灯していなかつた旨の証言があるが、右の記載、証言は、前掲記の乙第八号証の一ないし一一、同第一五号証、および本件事故が発生した日時と右日時の日没時間に照らして考えると、前記(三)の認定を覆すに足りない。

他に前記(一)ないし(三)の認定事実を覆すに足りる証拠はない。

三  前記二の(一)ないし(三)の認定事実によると、被告松本は被告車の進路上に本件交差道路との交差点である本件交差点があることをかねてから知つていたものであり、また、本件交差点の北方少くとも約六〇メートルの本件県道上の地点に被告車が到達した以降は、本件交差道路上を見通すことが可能なのであるから、被告松本が被告車の進路前方の本件県道上を注視するのみでなく、本件交差道路上の交通の状況を確認する注意を払つたならば、被告車が本件交差点の北方少くとも約六〇メートルの地点に到達した以降は、原告車の前照灯の光芒によつて、本件交差道路上を本件交差点に向つて進行している車両があることを発見することができ、その走行状態(速度および本件交差点に進入するに当つて一時停止しようとしているか否か等)に対応した措置をとることができたはずであるにかかわらず、本件交差道路上の交通の状況を確認することを怠つた過失に因つて、原告車が時速約六〇キロメートルで走行している被告車との距離が約一三メートル余りしかない状態で本件交差点内に進入し、被告車の前方を横断しようとするに至るまで、原告車を発見することができなかつたということができる。すなわち、本件事故は被告車を運転していた被告松本の過失に因つて発生したということができる。

四  前記二の(一)ないし(三)の認定事実、ならびに前掲記の乙第二号証の一、真正に作成されたことに争いのない乙第九号証、および弁論の全趣旨によると、本件事故発生の際、原告車の変速機(ギヤ)が三速(トツプ)の状態にあつたと認められること、および被告松本本人の供述、証人松本千代太(第二回)、同吉福和彦の各証言のうちに、原告車が浮き上るような感じのする状態で本件交差点内に進入して来た旨の供述、証言があることからすると、準司は原告車を運転して本件交差道路を南東進して本件交差点に進入するに当り一時停止しないで、南進して来る被告車の進路前方を通過して本件県道を横断し、本件交差道路を直進しようとしたものと推認するのが相当である。

原告依田昭太郎本人尋問の結果、および弁論の全趣旨によると、原告車と同種の原動機付自転車を本件交差点の北西側縁線部に停止させたうえ、変速機を三速として発進させた場合においても、発進が可能であると認められる。しかしながら、変速機を三速として発進した場合には、一速(ロー)として発進する場合に比べて駆動力が弱いために、走行速度を急速に上げることができないことは経験則上明らかであり、原告依田昭太郎本人尋問の結果によると、準司は本件事故当時までに、原告車のみでも三箇月余り日常通学等に使用していたもので、原動機付自転車運転の経験を相当有していたことが認められることからすれば、準司は右の三速で発進した場合には加速力が低くなることを熟知していたと推認するのが相当であるから、準司が本件交差点に進入するに当つて原告車を一時停止させたとすれば、その際、被告車との距離、被告車の走行状態(速度および減速しつつあるか否か等)との関係から、原告車の変速機を三速とした状態で、緩かではあるが上り勾配になつている停止位置から発進して被告車の進路前方を横断しようとすることが極めて危険であることを容易に判断できたであろうと推測できること、前記認定の被告車が原告車に衝突した地点と原告車が転倒停止していた地点との関係と原告車は被告車に比して遥かに軽量であることから考えても、被告車が原告車に衝突した時の原告車の速度は、極く低速ではなく、相当の速度であつたものと推測されることなどを考えると、原告車が本件交差点の北西側縁線部において停止したうえで、変速機を三速とした状態で発進することが可能であるということ自体は、前記のとおり、本件事故の際準司が一時停止することなく本件交差点に進入したものと推認することを妨げるに足りない。

他に前記推認を覆すに足りる証拠はない。

してみると、本件事故の発生については、準司にも、原告車を運転して本件交差道路を南東進し、本件交差点に進入するに当つて、道路標識に従つて一時停止して本件県道上の交通の安全を確認すべき注意義務を怠り、一時停止せず、本件県道上の交通の安全を確認しなかつた過失があるといわなければならない。

そして、前記三認定の被告松本の過失と右の準司の過失とを比較衡量すると、本件事故発生の原因としての両者の過失の割合は、被告松本の過失を二、準司の過失を八とみるのが相当である。

五(一)  真正に作成されたことに争いのない甲第三号証、いずれもその記載の形式、内容から真正に作成されたと認められる甲第七、八号証、および証人岡崎克樹の証言、原告依田昭太郎本人尋問の結果を合わせて考えると、次の事実が認められる。

準司は原告両名の長男で、昭和二八年三月二一日生(死亡当時満一八歳一〇月)であり、昭和四六年三月に私立関西高等学校を卒業し、東京電機大学、岡山理科大学を受験したがいずれにも合格しなかつたので、関西高等学校専攻科に通学して大学受験の準備をしていたもので、昭和四七年度は東京電機大学、広島工業大学、岡山理科大学等の受験を希望もしくは予定していたものであり、前記専攻科における成績等からみて、地方都市所在の私立大学であれば合格することがほぼ確実と予測できる状態であつた。準司の健康状態は良好で、前記高等学校の三学年を通じて、欠席日数は一日のみであつた。

右のように認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によると、準司の死亡に因る逸失利益の算定については、昭和四七年四月に大学に入学、昭和五一年三月(満二三歳)に卒業し、同年四月から満六七歳まで就労可能であつたものとして算定するのが相当である。そして、真正に作成されたことに争いのない甲第九号証によると、労働省労働統計調査部による昭和四八年賃金構造基本統計調査第一巻第二表の産業計、企業規模計の大学卒業者の年齢階級別平均給与所得金額に基いて算定される、準司が大学を卒業する二三歳から六七歳までの間に得られるはずの年間給与所得額は、原告ら主張の別表1記載のとおりの額となることが認められる。原告らは、右の所得額の昭和四七年四月一日の現価として、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除した額を主張するが、右の所得算定期間が四五年間の長期間に亘るものであり、かつ年齢階級別平均給与所得額を算定の基礎としていることから考えると、年五分の割合による中間利息控除の計算方法としては、ホフマン式計算法ではなくライプニツツ式計算法によるのが相当であると考えられるので、右の方法によつて昭和四七年四月における現価を算出すると、別紙計算書記載のとおり合計三一、五二〇、五〇六円となる。

準司自身の必要生活費は、原告ら主張のとおり右の所得額の五〇パーセントとみるのが相当であるから、準司の逸失利益額は一五、七六〇、二五三円となる。

(二)  いずれもその記載の形式、内容と原告依田昭太郎本人の供述によつて真正に作成されたと認められる甲五号証、同第六号証の一ないし一三、および原告依田昭太郎本人尋問の結果によると、準司の葬儀に関する費用として三一四、三八一円を要したこと、原告らは、準司の死亡に因つて費用三六八、〇〇〇円を要する墓碑の建立を予定していることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

しかしながら、特別の場合を除いて、墓碑は一人の死者のためにのみ建立、使用されるのではなく、相当多数の親族関係者のための墓碑として建立、使用されるのが通常であることが明らかであるから、右認定の墓碑建立費の全額を直ちに準司の死亡に因る損害であると認めるのは相当でなく、準司が原告両名の長男であることを考えると、右認定の費用の三分の一である一二二、六六七円(円未満四捨五入、以下同様)の限度で、準司の死亡に因る損害と認めるのが相当である。

(三)  準司の死亡についての原告両名独自の慰藉料としては、準司の年齢、準司が原告両名の長男であつたこと、その他本件口頭弁論に顕われた諸般の事情(但し、本件事故発生についての準司の過失の点を除く)を合わせて考えると、各原告についてそれぞれ二、五〇〇、〇〇〇円をもつて相当と考える。

六  前記四のとおり、本件事故の発生については準司にも過失があり、本件事故発生の原因としての被告松本、準司の各過失の割合が二対八と考えられるので、被告らに対しては、右五の(一)ないし(三)の損害、慰藉料額の各五分の一の限度で、その賠償義務を負担させるのが相当である。

してみると、原告らは、右五の(一)の準司の逸失利益額の五分の一である三、一五二、〇五一円の損害賠償請求権の二分の一宛である一、五七六、〇二六円の損害賠償請求権を相続により取得し、右五の(二)の準司の葬儀費用と墓碑建立費用のうちの準司の死亡に因る損害と認められる額との合計四三七、〇四八円の五分の一である八七、四一〇円の二分の一宛(弁論の全趣旨によると、原告両名は右の各費用を平分負担する意思であると認められる)である四三、七〇五円の損害賠償請求権、および右五の(三)の相当慰藉料額の五分の一宛である五〇〇、〇〇〇円の慰藉料請求権を取得したことになる。すなわち、原告らが取得した財産上の損害賠償請求権、慰藉料請求権の合計額は、各原告についてそれぞれ二、一一九、七三一円となる。

七  原告らが本件事故による準司の死亡に因る損害の填補として、自賠保険の保険者から少くとも五、〇〇〇、〇〇〇円の支払いを受けたことは当事者間に争いがない。

してみると、右の支払いによつて、原告らが取得した前記の損害賠償請求権は全額弁済されたことになり、したがつて、原告らが本件訴訟を原告ら訴訟代理人に委任することに因つて要する弁護士費用を、被告らが負担すべき理由はないことになる。

八  結論

以上のとおりであるから、原告らの各被告に対する請求は、他の点について判断するまでもなく、全部理由がないものといわなければならない。

よつて、原告らの各被告に対する請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 寺井忠 竹原俊一 前田博之)

別表1

〈省略〉

別表2

(1) 23~25歳までの3年間

年収 1,052,500円

係数 231(7年の係数5.87-4年の係数3.56)

1,052,500×2.31=2,431,275円 (A)

(2) 26~30歳までの5年間

年収 1,447,300円

係数 3.34(12年の係数9.21-7年の係数5.87)

1,447,300×3.34=4,833,982円 (B)

(3) 31~35歳までの5年間

年収 1,974,000円

係数 2.86(17年の係数12.07-12年の係数9.21)

1,974,000×2.86=5,645,640円 (C)

(4) 36~40歳までの5年間

年収 2,404,500円

係数 2.51(22年の係数14.58-17年の係数12.07)

2,404,500×2.51=6,035,295円 (D)

(5) 41~45歳までの5年間

年収 2,837,800円

係数 2.22(27年の係数16.80-22年の係数14.58)

2,837,800×2.22=6,299,916円 (E)

(6) 46~50歳までの5年間

年収 3,276,200円

係数2.00(32年の係数18.80-27年の係数16.80)

3,276,200×2.00=6,552,400円 (F)

(7) 51~55歳までの5年間

年収 3,790,700円

係数 1.82(37年の係数20.62-32年の係数18.80)

3,790,700×1.82=6,899,074円 (G)

(8) 56~60歳までの5年間

年収 3,048,300円

係数 1.67(42年の係数22.29-37年の係数20.62)

3,048,300×1.67=5,090,661円 (H)

(9) 61~65歳までの5年間

年収 2,523,700円

係数 1.54(47年の係数23.83-42年の係数22.29)

2,523,700×1.54=3,886,498円 (I)

(10) 66~67歳までの2年間

年収 2,061,300円

係数 0.58(49年の係数24.41-47年の係数23.83)

2,061,300×0.58=1,195,554円 (J)

(11) 従つて、23~67歳までの収入総合計は

(A)~(J)の総合計 48,870,295円

計算書

〈省略〉

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